はじめまして

みなさんこんにちは!
田中あきよです。

このページを見ていただきありがとうございます。

2019年4月の西宮市議会議員選挙にて初当選し、政治に携わることになりました。

一般の主婦が、なぜ政治に携わろうと思ったのか。何をやるために政治をしようと思ったのか。

このページでは、私の最初に持った疑問点からお話しします。

私には三人娘がおります。今は社会人の長女が中学3年生の時に、突然学校に行けなくなり、体調を崩し心を病んで苦しんだことが私の人生の中でも大きな転機となりました。もともと、次女は幼い頃から人とのコミュニケーションが苦手で、小学6年生から通常のクラスから特別支援教室に変わり、少人数の中での学校生活にはなったのですが、やはり学校が苦手で、中学校から芦屋特別支援学校までほぼ学校には行けずに卒業しました。その頃、次女に関しては本人は大変しんどい思いをしていたのですが、私としては、学校が苦手だから仕方がないなとどこか思っていたのです。

しかし、いわゆる優等生タイプの長女が学校に行けなくなるのは一体何があったのだろうと、いま学校で何が起こっているんだろうと思いました。そして長女の不登校は親子で地獄のような日々を送りました。20時間寝て30時間起きているという睡眠障害や、みんなが悪口を言っているという脅迫概念。頭痛、腹痛、手足はいつも氷のように冷たく、精神的につらくなると人はこんなにも身体が支配されてしまうという、そんな経験をしました。

長女が何とか前向きになった頃、長女の同級生で「拒食症」という、心の病気で食事がとれないという女の子がうちにあそびに来るようになりました。その子はやりたいことがあり、入院はいやだと言って高校にも通い、就職もしました。うちの長女は元気になった後、大学へ行きあまり連絡をしなくなった矢先に、その子が亡くなったという連絡がありました。拒食症は心の病気ですが、命の危険がある病気です。本当にショックでした。学校に行けずに生きづらさをかかえた子どもたちのために、安心して居られる居場所が欲しいなと思っていたのに、何もできないままその子は天国へと行ってしまいました。グズグズしている場合じゃないと、不登校の子どもと親の居場所トコトコくらぶを立ち上げました。

樋ノ口地区社協の会長さんから「この会館の開いてる日にすぐにやったら良いよ。最初は誰も来なくても続けることが大事やから」と言っていただき、すぐにスタートし今では部屋がいっぱいになるほど、沢山の親御さんが来られています。そしてその活動から、いろんな方との出会いがあり、学校に行けない小学生、中学生、高校生、大学生、専門学校生の親御さんや社会人、そして学校の先生。子育て中のお母さん。会社に行きづらいお父さん。様々な生きづらさをかかえた人たちの話を行くことができました。

また何かしらの障がいがあると言われている人たちとの出会いもありました。

9月1日問題はご存知ですか?学校に行きづらい子が、夏休み明けに登校せずに自殺してしまうという悲しすぎる問題です。大人からしたら、自殺するくらいなら何でも頑張れるやろと思われるかもしれませんが、子どもたちにとって学校はすべてであり、登校できないことやいじめられていることは、人生すべてアウトに感じてしまいます。

日本の若者の死因第一位は自殺。15才から34才4557人というデータもあります。(2014年)

9月1日に命を落とすのは中学生が多いというデータを見ました。そして自殺を選ぶ子はすでに行けていない子ではなく、学校に行っている子が多いのです。なんとかいけている子が、もう無理となって死んでしまう。その現状を知ると、

一体いま、教育現場はどうなっているのかと皆さんも思われませんか?

決して先生が悪いとか、手を抜いていると言ったことではなく、逆にいろんなルールができて仕事が増えて先生方は忙しすぎて手が回らない状態なんです。

日本では小学校や中学校に行けなくなると、他に選択肢が無い。引っ越しでもしなければ転校もできない。適応指導教室「あすなろ学級」は西北の子ども未来センターに一校しか無い。山口や西宮浜から通えない。ないないづくしの西宮で安心して学校に通わせられますか?何かしら障害があると言われた子が、ほんの少しの手助けがあればみんなと一緒に過ごせるのに、そのちょっとした支援が難しくて、特別支援教室で過ごすか、通常の教室で不便なおもいをしながら過ごすかを迫られる。

なぜ、支援する教室と、支援しない教室をつくってしまうのか。なぜそこに子どもたちをはめ込もうとするのか。

そこを分けてスタートする今の教育が、どうやってインクルーシブ教育を目指すのかさっぱりわかりません。

インクルーシブ教育のインクルーシブは排除しないという意味から、障害のあるなしや国籍に関わらず必要な教育支援を受けて通常学校で学ぶことです。

医療的ケアが必要とされる子どもたちが通う養護学校ですら、入学時に送迎や通学バスの付き添いを条件にされることがあります。外出の時に付き添いをしてもらえるガイドヘルパーという制度があるのですが、これは登下校の送迎には使えず、親が体調を崩すと学校を休まなければならないという問題があります。親が頑張らないと行けない状況は、福祉の観点からかなり遅れています。福祉について早くから取り組んだ西宮市が、今や他市から遅れをとっている状態です。

子どもの権利条約28条に「みんな同じように教育を受ける権利をもっています」とうたっています。子どもの権利条約というのは1989年に国連でできた条約です。日本もこの条約に賛同し守ると宣言しています。

それなら、同じ環境が平等では無く、ひとりひとりがその子に必要な教育が受けられる状態になることが平等なんだと思います。

大人になってから生きづらさがあって生活に支障がある人のお話を聞いても、やはり小学校中学校時代は通うのがとてもしんどかったと仰います。子どもの頃に植えつけられた自己評価の低さはなかなか思うようには上がってはきません。

教育現場が今のまま大きな変化が無いとしたら、間違いなくしんどい子どもが増え、行く行くは働くこともできない若者の増加に繋がります。間違いなく少子化となる日本で、働けない人が増えればどういうことになるのか明白です。働ける人が減ると、市の財政は厳しくなり、さらに生活苦がひろがり悪循環となります。

周りに気になる方はおられませんか?そういう方の支援は何が必要なのでしょうか。

そして学校時代に生きづらさを感じたときに、早期発見早期対応することでかなりの問題解決に繋がることもわかってきています。その為には、学校以外の居場所の確保と、学校に関わる人を増やす。そして何より、学校のあり方を見直すときが来ています。子どもや先生がつらくなる学校では「文教住宅都市」と胸を張って言えません。一日も早く西宮はやっぱり子育てしやすい町、生きて行きやすい街と言われるよう、見直しをしていくときが来ています。

そこを何とかしたいという思いから、トコトコくらぶの他にも地域活動をしてきましたが、そこで気づいたのは、しんどくなってからの支援ももちろん必要ですが、しんどくならないためにしなければならないことも沢山あると思うのです。

これまで市民として動き、現役の市議さんと勉強してみたりもしましたが、やはり一般市民では得られない情報や、どうしようも無いことがありました。

そして、この生きづらさのある現状を同じ温度差で訴えられるのは、わたししかできないことだと思いました。

ありがたいことに私の近くには、日頃からいろんな思いを共有してくださっている方がたくさんおられます。

これまでの活動とこれからの挑戦を見守ってくださる皆さまの思いもしっかりと握りしめて、これからの西宮を変えていけるように進みたいと思います。

すこしでも私の思いが皆様に届いたら幸いです。

次のページで私のプロフィールをご紹介します。

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