市民派議員って、何?
先日、お仲間のお一人から
「市民派議員ってなんですか?と聞かれた時の、端的な回答を教えてください」
との質問がありました
「田中あきよ応援団」のグループラインでの質問だったので、その時のやり取りが、他の方とも共有できてとても意義のある内容になりました
Kさん「政党や組織に所属せず、強者と弱者が争った時に、個人と弱者の視点で判断する議員。政党の政治で優先される多数派の意見から、少数の意見がこぼれ落ちて聞いてもらえないという思いがある。市議がみんな政党に属する人ばかりだと、生きづらさを抱えた人の意見は反映されないことになる。それは不安。だから無所属の議員も必要」
私「その通りです。政党に入ってしまうと、自分と違う意見でも合わさないといけなくなる。今、生きづらさを抱えた人は、多数派に気を使って声を上げられない人もある。その声を上げるために、私は市議になる決意をしました。どこまで届くかわからないけど、黙ってはいられない。それが市民派議員だと思っています」
Kさん「政党に属していないので、応援する市民が一緒に考えたり、活動して、住みやすい地域に変えようという思いを共有していくことが大事ですね。」
Yさん「弱者と強者という単語は、人によって捉え方があれこれ出てきそうです。何に対して弱者なのか。田中さんと後援会の皆さんが共通の意味を持つ必要があると思います。弱者とは、自分一人では声を上げられない人なのではないでしょうか」
Kさん「確かにその方がしっくりきますね」
Tさん「なるほど。漠然とした文言より、誰にでもわかりやすい言葉選び、難しいですが大切ですね」
私「私の中で弱者=生きづらさがあるのに声を上げられない人、というイメージでした。
ですが、、、では、生きづらさや困りごとがあるけど、すでに声を上げて活動している人は、強者になるかと言うと、そうとは言えません。声が届かず、しんどい人もいる。
と、なると、弱者=生きづらさがあるのに、声を上げられない人や声が届かない人。
家の中で「しんどい」とつぶやいてる人も、社会に向かって「何とかして!!」と叫んでいる人も、みんな生きづらさがある。その声を届けるために市民派議員が必要なのだと思います。
ただし、私の中での優先順位は声を上げられない人です」
Kさん「権力を持っていたり、財力があったり、数が多かったり。そうした、個人から見たら大きな壁と思われる人たち、倫理、構造にむかって、いち個人の生きづらさから声を上げようとする人と共に立ち、今声を上げられない人が社会につながるきっかけになる人
=市民派議員」
Yさん「こういうことを考えながら進むのが、市民派議員なのだろうと思います。一言で表せないのは苦しいけど」
私「ずーっと考えていかないといけないし、楽にはならないだろうなと思います。世の中は常に変わっていくのだから、「これ」と決めてしまうと楽かもしれないけど、またそこからこぼれ落ちていくことがあると思う。考えが凝り固まらないように、『当たり前』をはがしては張り付き、張り付いてははがしていくのを繰り返していく感じかなと、想像します。」
という「市民派議員とは」についての意見を出し合うことができました。
実際に意見を上げたのは三人ほどですが、30人ほどのクループなので皆さんの中で色んな思いが膨らんだことと思います。
たまたま、同じく他市で市議を目指しているお仲間から、FBのコメントで
「暮らしと政治はつながっている!日々の活動と並行してこそ、市民派候補!!」
といただきました。
そう、暮らしとかけ離れたところに政治があるのがおかしい。
自分たちで住むところを作っていこう。
by 市民派議員予定候補者 田中あきよ